古文書を軽んじ始めたのはいつからか?

「歴史地震の話~語り継がれた南海地震


古文書に語り継がれた南海地震について
主に高知での被害の記録が取り上げられている。

取り上げるのは高知にあった資料ばかりでなく、
海岸線に残った段丘や、
遠く中国に記された記録からの裏取り、
日本各地に残された自身の記録との関連性など
幅広く、南海地震について検証している。

これを読むだけで、
日本に残る古文書を解析すれば、
地震予知って要る?と思えるほどに
詳細な情報が得られることが分かる。

ただ残念なのは、なぜ、
もっと早くに、古文書の解析が進まなかったのか
ということだ。

一体いつから古文書を軽んじるようになったんだろうか?

ぱっと浮かぶのは、柴田南雄作曲「追分節考」の中の
俗楽旋律考(上原六四郎)とプロテストのシーンだ。
あの頃だったんだろうな、と勝手に想像してみる。

しかし、古文書に書かれていることが周知されていれば、
日本の街づくりや都市計画は
もっと違ったものになっていたと思うのだ。

ここに書かれている南海地震東海地震のことは
出来れば目を背けたい事実だ。

しかし、読み終えてみると、不思議と納得感の方が勝る。
そうか、日本とはそういう土地なんだと。

南海地震が起こった時の心構えは
自ずから身につくように思う。

古文書に対する試みが広く知られるようになることを
切に願う。