ソールライター

ニューヨークが生んだ伝説の写真家
永遠のソール・ライター
2021.2.13 土-3.28 日

https://kyoto.wjr-isetan.co.jp/museum/exhibition_2103.html

実に面白かった。
もともとは何かで見かけて、
その色に魅力されたのが始まり。

視点も面白いし、
色使い(写真のなので取り込む色)、
構図、ピントも楽しい。

写真の可能性がたくさん見られる。

面白いのは、1950年代、60年代の写真と2009年の写真が並んでいるけれど全く違和感がないこと。

まだ未発表の作品があるらしいので、
これからも楽しみ。

10年前のその日のこと

東日本大震災で、思い知ったことの一つは、
過去の伝承の重要性だ。
いくつか読んだ記事の中で、
忘れ去られた碑に、津波の伝承が書かれていたり、
神社や仏閣の位置が、
かつて津波が来た位置だったりと言うのを
よく目にした。

一番驚いたのは貞観地震のこと。
東日本大震災があって初めて知った。
他にも、同じ場所で違う時代に起こった
津波を伴う地震を記録した古文書があった。
それを忘れ去ってしまっていたことに
ショックを受けた。

そして実は近年に、
地震津波が一緒に起こった出来事があった。
1993年に起こった北海道南西沖地震だ。
奥尻島津波の被害に遭った。
でも覚えている人は少ないと思う。
当時はYouTubeがなかった、SNSがなかった。

私たちが目にしたのは、津波が去った後の景色。
だから津波で何が起こるのか知らなかった。
東日本大震災で衝撃だったのは、
たくさんの人たちが撮影し、
アップした地震津波の動画たちだった。

それは日本だけでなく世界中の人が目にした。
今でも見れる。
これほどの教訓は人類の歴史を振り返っても無い。
インターネットが存在する限りこの教訓は残るから、
今後、南海地震が起こる可能性が指摘されているけれど、
東日本大震災のことは活かされると思う。

10年前のその日、
大阪では揺れが感じられた様だけれど、
神戸ではほとんど気がつかなかった。
2時間休みをとっていたので、
早めに職場を出た時、
区の広報のスピーカーから
海岸に近寄らないでくださいと言っていたのを、
訓練って言ってたっけと思うほど
気がついていなかった。

気が付いたのは、電車に乗ってから。
ある男性が音漏れを気にすることなく、
ワンセグ放送を見ていた。
そこからは何かただならぬことが
起こった感じが伝わった。
慌てて僕もiPhoneワンセグアダプターをつけ、
見始めた。

そこに映っていたのは見慣れない大津波警報
という文字と仙台に迫る大津波の映像。

そのリアルタイムの映像は今でも忘れられない。
映画でしか観たことのない光景が
現実に起こっている。
それと付き合っていかなければならない国土に
自分たちは住んでいる。
その翌日に書いた日記。https://www.collegium.or.jp/~gabe/main/201103.html#20110312

検索の窓は・・・

検索の窓は平等に開かれているが、
適切なキーワードを選べるかどうかで
天と地ほど差が出るんだよな。
そして、仮にキーワードが適切だったとしても、
選ぶことができなければ、そこでまた差が出る。
人に尋ねる時も同じ。適切な問いかけと、
聴く力量がなければ、何をしても結果は得られない。

それに年齢は関係ないが、
ある程度年齢が行って、適切な問いかけと、
聴く力量がないと結局何も得られないうえに、
答えからどんどん遠ざかる。
「教えてくれへんのかい」
ていう態度じゃなぁ。

かの国で行われてきたこと

反日種族主義 日韓危機の根源

反日種族主義 日韓危機の根源

  • 作者:李 栄薫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2019/11/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

韓国でも売れているらしい。

1/3ほどしか読んでいないが、軽くめまいがする。

ここまで徹底してやっていたのかと。

 

懸念があるとするなら、韓国は漢字を廃止(1968年)している。

なので、オリジナルはハングルのみで書かれてあるはずで、

韓国で、この大量の内容を、読み込めるのか?

同音異義語の区別はつくのか?

最後まで読めるのか?

 

漢字が廃止されて50年。

いろんなことを考えてしまう。

雑感

現在、振り返ると
自分のことのみに集中できたのは
30代から40代のみだったなと。

50代に入り、このような状況になるとは
想像していなかった。
いや、甘い見込みを持っていたというほうが、正確か。

自分のコントロールできる範囲外ではあったが、
まぁ、常識の範囲で考えているだろうと
甘く考えていた。

ここのところ
過去のメールのやり取りなどに
目を通すにつけ、
危ない兆候はたくさんあった。
一番古いのは1998年くらいのメールから。

読み返せば、
そして、家を出るまでのことを
思い返せば、
ある意味、この状況になるのは
自明だったかもしれない。

時計の針は戻せないので、
目の前の状況に対して粛々と
対処していくしかない。

別に悲壮感はないが、
人は、変わらないという現実も
厳然とある。

すでに終わっているメディアとしての新聞


「新聞という病」

大手の新聞、
特に日本で一番信用されていない
某新聞社が、いかに終わっているか、
と同時に当人たちは終わっていないと勘違いしているか
その病理の深さが分かる。

新聞だけでなく、
マスコミといわれるオールドメディアは
情報操作という、
かつての権限、権威を完全に失っている。

しかし、それでもなお、
手垢のついた手法を繰り返し、
反省もしない、新聞社。

インターネットがなかったころ、
自分自身も、疑いもしなかったが、
ここまで様々なことがあると、
かつての報道内容に関しても、
疑問が生じてくる。

大手新聞社は終わりの始まりを迎えたんだろう。