えらそう

自分で言うのも何だけど、
僕ほど人からこの言葉を言われている
人間もいないんじゃないかと思う。

始まりは母親からだったか。
身内以外の他人から言われ始めたのは
大学入ってからでしょうか。

いまだに、人からは言われる。

態度が「えらそう」
言動が「えらそう」
書いていることが「えらそう」

えら そう なわけだ。

すみませんと
あやまるしかない。
顔は笑っているしかない。

しかし
言われるたびに
砂を飲み込むような
鉛を飲み込むような
言いようのない感情に
心が覆われ、そして乱れる。

何でだろうと、考えた。

「えらそう」、
つまり偉くはない。
大したことない。
そんなことする資格もない。
そういうことだ。
分をわきまえろ。

違う意味があるのなら教えて欲しい。

人に面と向かって言うとき
「あなたは重要じゃない」
「そんなことを言える立場ではない」
ということだ。

そう、あってます。
僕は大して重要な人間ではない。
そんな風には思ってない。
ご心配なく。

僕を表現するとき
その言葉しかないのなら
それはそれで仕方のないことだ。

それと同時に
自分自身のやってきたことを
自分で認めろと言うのは
違和感を感じる。

高々、自分のやってきたことです。
人様にどうこう言うほどのことではないです。

積み上げたもの
そう思いこんでいたものは
この「えらそう」という言葉で
すべてご破算になる。

もっとも、
積み上げる、そのものも
ただの幻想なのだが。

場数を踏むことによって
経験を積むことはあるだろうが
今現在に、その当人に
それに見合った
その技術(スキル)がないのなら
それは、ただの幻想だ。

どこまで行っても
僕について回るのは
「えらそう」なわけで

この言葉は
言われる方に咎があり
言う方はお咎めないわけです。
少なくとも、僕に関しては。

しかし
僕は人に対して
この言葉を使わない。
この言葉の持つ意味が
どういうものか
理解しているつもりだからだ。

この言葉を人に対して
使える人の気持ちは
一生、理解できないだろう。