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さてさて、頑張りますか。

今週も盛りだくさんだった。

装置の移設はようやく終了。
装置の立ち上げも
先ほど終わり
8ヶ月ぶりに装置が動いた。

やれやれ。

睡眠時間を削る日々は
まだしばらく続きそうだ。

明日は何としても
名古屋に行くべ。

塩川先生とSCOの
アンサンブル。
やっぱり良いです。
しらかわホールです。

お近くの方は是非。

ふと思ったこと。

自分というものは
自分で思っているものが
自分ではなく
人から見た自分が
実は、その人
そのものを
正確に表しているんだと。

仮に無人島に
人が一人放り出されたら
その人は、
おそらく、
自分というものを
理解できないと
そう、思う。

人生のはじめは
親兄弟が自分のイメージを
形作る。

日常のやりとりの中で
最初の「自分」が
できあがる。

やがて、友達
社会の中で
だんだんと
「自分」が変化し
できあがっていく。

なかでも、一緒に
暮らす人が
「自分」を
作り上げ変えていくんだと
思う。

職場では、後輩のほとんどが
結婚している。

使用前使用後が
いっぱい見れるわけだ。

彼らにはっきりとした
変化があるのだ。

それは、親兄弟という鏡ではなく
もともと他人だった人と
新しく作る家族という鏡で
「自分」が変わっていくのだ。

やがて、自分の子供という
鏡が、もっと
「自分」を変えていく。

一緒に暮らすと言うことで
鏡が増え、濃くなり
その人は「自分」というものを
より深く理解していく。

きっとそういうことなんだろう。
と、ふと思った。

職場の後輩達は
良い鏡を持っていると
思えたのだ。

良い感じで
彼らの「自分」が
濃く深くなっていると
そう、感じることが
けっこうある。

なぜか、よくわからなかったが
今は、少し理解できたように
思った。

翻ってみた自分は
そうなっていない
いつまでも
変化がない部分があると
そう、思ったからだ。