まさか といふこと

その兆しを
見逃してはいけなかつたのか。

今となつては、
もう、遲いのかも知れない。
いや、
もうすでに、
限界だつたのかも知れない。

小さな變化は
その兆しなのか
氣のせゐなのか
見分けがつかない。

自分にやつてきた
大きな波の中で、
その小さな變化を
をかしい、と思ふ自分と
まさか、と思ふ自分があつた。

人を信用することと
辛抱強く見續けると言ふことは
矛盾しないのに
信用することで
見續ける力が弱くなつたのか?

ちよつとした變化は
いつしか、
大きな變化になつてしまつた。

そして、
それが表面化したとき
僕に對して
そのことを隱したのだ。

僕は隱すことなく
正直に
自分の中に起こつた
小さな兆しを
晒してきたのにもかゝはらず。

それは、事態が、
後戻り出來ない方向へ
向かつてゐることを意味してゐた。

その時の僕には
見る餘裕が
ほとんど無かつた。

やがて、
僕の聲も屆かなくなつた。