アンドラーシュ・シフ〜バッハの極致

いずみホール
お客になるのはいつ以来か?

下手のバルコニー席へ行くのに
迷ってしまった。

舞台袖から行くのは
慣れていても
客席から行く方法は
慣れていなかったのだ。

座席は、下手側バルコニー席。
シフから見て
右後ろになる。
演奏中の表情は見えないけれど
手の動きは、よく見える位置。

コンサートの曲目は
J.S.バッハ:6つのパルティータ全曲。

僕はこの曲、一度も聴いたことなし。
予習もしてこず。
ピアノの演奏会は、おそらく初めて聴く。
僕にとっては
全く知らない曲で
いきなりのライブ演奏なわけです。
しかも全曲。

そんな人の感想です。

静かな緊張感の中
演奏が始まった。
知らないフレーズの連続に
僕自身が少し緊張する。

きらびやかな音の粒が
複雑に、
そして多彩にホールを飛び交う。
ペダルを使っていないのにもかかわらず
会場を満たす音はあくまでも芳醇。

なにも考えずに聴くと
その音の多さ
複雑さ、多彩さから
多声部のように聞こえるけれど
注意深く耳を傾けると
その多様さが
2声部からなっていることに気がついた。
(っていうものの譜面見ていないので
間違っているかもしれません)

シンプルにもかかわらず
紡ぎ出される音楽は
複雑で多彩だった。

そうかと思うと、
これ以上ないまで
音をそぎ落とした曲もあった。

フレーズの動きが
どれも必然で、
そのシンプルな動きだけで
和音を感じさせる様は圧巻。

まるで、エヴァンゲリスト
レチタチーヴォを聴くかのようだった。

音が少ないにもかかわらず
音の多いときよりも
豊かな音にホールが包まれる。

シフの演奏は、
よけいな飾り付けもなく
シンプルに感じた。

だからこそ、バッハが際だち
そしてシフ自身の音楽が
際だって聞こえた。

バッハの音楽を
聴衆と共有することに
忠実で、そして真摯な演奏。

音楽に忠実であればあるほど
その奏者の個性は消えず
むしろ際だつという
偉大なお手本のような演奏だった。

シフという扉を通じて
時空を超えてバッハが現れた、
至福の一夜だった。