国家、国旗、国歌という枠

内田樹の研究室
国旗国歌と公民教育
を読んで。

橋下徹府知事率いる大阪維新の会
君が代斉唱時に教員の起立を義務化する条例案」を
今月の府議会に提出するのを受けて書かれた内容。

内容には至極納得。
読みやすい語り口なので、
騙されてんじゃないかと思い(笑)、
再度読むも、やはり納得。

個人的な意見を言えば、
国歌も好きだし、歌う場面は減ったが歌うし
日本の国旗も好きだ。
シンプルだしね。

今回のことに限らず、
反対だとか文句(あえて文句と書く)を言う人々は、
その大半は、代案を出さない。

で、幼稚で、自己満足な主張を繰り返し、
幼稚な行動に終始する。
と僕には見える。

国旗を否定し、国家を歌わないのは、
「個人」レベルでは好きにすればいいが、
教師が、職場で、子供の前でやることに関しては、
反対だ。

理由は、(取り越し苦労かもしれないが)
自国の国旗国歌に対して、
敬意を抱かない人を作り出す危険があるからだ。
そういうものは、ある種、習慣として
身に着ける儀礼として、
あったほうがいいと思う。

危惧するのは、自国の国家国旗に敬意を示せない人間が
他国の国旗国歌に敬意を示さない可能性が
消えないからだ。
悪気はなくとも、国旗国歌に敬意を示す習慣がない場合、
または、それを知らない場合、
人は、まったく悪意なく他国の国旗国歌に対して
敬意の態度を示さない可能性があると思うのだ。

ポーズから入ってもいいのだ。
それが本物になることだってある。

なぜ、義務化する条例案が出るような事態になったか。

そういう幼稚な手段に、
子供の前で出る人間がいるからだ。
少なくとも、日本の国籍を持ち、
国に守られている(自覚ないんだろうな)
のにもかかわらずだ。
(海外に行けば、日本国民であることがどういうことか少しわかる)

気に入る気に入らないの考えは良いとしても、
代案もなく反対するのはいただけないな。

所作や、態度が作り出すものに対して
もっと考えたほうが良い。

もちろん、良い面と悪い面、両方あるわけで、
それを教えるのが教師じゃないのか?

その解釈は、教師の数だけあって良い。
(反対も含めて、そこで子供と話せばいい)
集団に所属し、生きることについて、
どうすればいいか、子供に教えてあげれば良いと思う。

国家、国旗、国歌を持つ国民としての
基本的な振る舞いがあり、
その枠があるからこその多様性だと
子供が学べるといいな。

基本はこれだよ、
でも、それに対して、思うことは
いろいろあっていい。
と、僕は思う。

こんな条例案が提出された時点で
教育者は、有識者は抗議するのではなく、
猛省するべきでは、と思うのだ。
もちろん、自分自身を含めて。