国歌、国旗における責任の所在

        

以上の本を読んだ時点での
今の僕の考え。

先の戦争のことを忘れないために、
国歌を斉唱し、国旗を掲揚することは
必要だと思う。

個人的なことを言わせてもらえれば、
ごく最近まで、
日本の近現代史に関しては
全く関心がなく
何があったのか、知らないままで平気だった。

故に、テレビや新聞などで、太平洋戦争のことや
それ以前の、明治維新後の日本に関して
いろんな人が熱く語っているのを見ても
なんとも思っていなかった。

右の人が、あーだこーだ
左の人が、あーだこーだ
言ったところで、関係ないと思っていた。

でも、現在は過去の歴史と地続きで、
過去にあったことが要因で今があるという
当たり前のことに
遅ればせながら思いが至るようになった。

きっかけはこの本

今の日本には、
右でも左でもなく
自虐史観でもなく
普通の人が、普通に語れる
近現代史がないと思う。

事実、学校では、近現代史は時間切れで
駆け足で過ぎ去った記憶しかない。

今回書籍を読んでみて、明治維新以後の
近現代史は、やはり重要で、
今後、この国をどうして行ったらいいのかという
答えを探すためにも必要だと思うのだ。

つまり、日本の国として、
過去、このような経緯で、
このような道筋をたどり、
今に至りましたということを
説明し、その過程に責任を持つため
忘れないために
ずっと続く、国歌と国旗を否定しては
いけないと思うのだ。

国家、国旗を否定する人たちに
それを感じないのだ。
むしろ、それを否定することで
なかった事にしようとしている、
清廉潔白になりたいという小賢しい印象すら受ける。

子供の為を思うなら、
すべてを引き受け前を向く姿を見せるほうが
よほど教育的だと思うが。

これまで、こうして来ました。
だから、これからこうして行きましょうと
そこで初めて言えるのだと思います。

その過程を、どうやら戦後、
放置したまま来た。

もっと言うなら、
日露戦争以降、日本人は、
そのことを放置したまま来たようです。

ただただ、豊かになることのみを
追求しすぎた。
豊かになってその先何を目指すのかが、
すっぽり抜けていた。

そろそろ、そういうことを、
右だ左だじゃなくて、
普通に話をする必要があるのではないかと、
最近そういう事を考えています。