フィクション

たぶん、久しぶりに
まとまって小説を読んでいる。

今、ハマり始めたのは、
村上春樹だ。
はまっている人を
ハルキストというらしい。

ノルウェイの森が映画化され
公開された時、
まず映画を見て、
原作を読んだ。

実はその時点で、
すでにハマっていたのかもしれない。

その時、その小説は、
僕を高校時代まで引き戻していた。

ある時点から全く
思い出しもしなかったのに、
しばらくの間、
ふとした、空白の時間に、
過去が滑り込むようになった。

そんな風に、小説は、
今、この瞬間に、
今とは違う何かを
日常に、付与してくるのだ。

それは、行動と同時だったり、
ふとした空白に滑り込んだり、
色々だ。

ノルウェイの森を見て、読んだ当時は
高校時代の出来事が、日常の空白を埋めた。
中には、全く忘れていて、
思い出した時、
それを新たに追体験するかのような
驚きを伴うこともあった。

そして今、再び村上春樹を読んでいる。
高校時代がフラッシュバックする時もあるが、
それより、日々の光景が、
次々に、文章化されていくのが、
面白い。
浮かんでは消えていくのだか、
風景の見え方は、
面白いし、楽しんでもいる。

それと共に、
開いたこともない、
かつて開いていたかもしれない、
心の回路が、活性化し始めている。

干からびた花壇で、枯れかけていた
植物に水をやる感じにも似ている。

日常に、違う角度から光が入る。

それは他の小説を読んでも、
違う形で現れる。

万城目学を読むと、
無意識に、ひょうたんを探したり、
大阪城が気になり、
どこかに長い地下通路があるんじゃないか、
路傍のネコがいきなり話しかけてくるんじゃないか
と、フィクションと日常が綯交ぜになる。

映画や、ドラマを見ても同じだ。
演劇を観たり、ライブを聞くのもそうだ。

普段閉じている回路を開く。
枯れかけている場所に水をやる。

いずれも、フィクションだ。
嘘ではあるけれど、それは、
人間にとって、生きることを豊かにするために、
とても大切なモノなのかもしれない。