シンフォニアコレギウムOSAKA 京都公演感想

今回は作曲家の違いというものが
ずいぶん楽しめた。

と同時に、不思議な感覚に襲われた。

モーツアルト交響曲 第25番 ト長調
映画アマデウスの冒頭で
第1楽章が使用されている。

個人的にはこの曲が聞こえると、
血まみれのサリエリしか浮かばない。

ただ、知っているのは第1楽章だけ。
以後は未知の領域。
というか、全ステージで知っているのはこれだけ。

以後の感想は曲を初めて聴いた人の感想。

2楽章以降を聴いていて、
曲を聴くと同時に、作曲家の肖像が
浮かび上がってくる感覚に襲われた。

浮かび上がってきたのは、
人に見せる強気な態度、
天才であるという自負とは裏腹に、
非常にまじめな内面を持つ、モーツアルトだ。

それが2楽章、3楽章と続いて、
終章後半に、再び強気で天才である自負を持つ
モーツアルトが顔を出して終わった。

こんな感覚は初めてなので
「なんじゃこりゃ?」だった。

次は
シューベルト交響曲第5番
変ロ長調

不思議な感覚、継続中。
ここで立ち現れたのは、
周囲から分かりやすい
良い人と思われているシューベルト
もちろん友人たちを始めとした
周りの人たちには好かれ愛されている。

でも、2楽章3楽章では、
複雑な内面、ロマンチストな内面を持つ
ナイーブなシューベルトが垣間見える。
僕はそんな分かりやすい人間じゃない
と周囲に反発している感じを受けた。

でも終楽章で、いつもの(?)シューベルトに戻る。

正直、聞き終わった後、『?』だった。

最後のエルガー
弦楽のための《序奏とアレグロ》。

何とも野心的な音。
関西弁でいう「行ったれ〜感」満載。
ところが、その後、
イギリスなんだろうか、
森や平原が目に浮かぶ。
民謡風なのか、
心の奥底に共鳴するような、
もう少し根源的なものに触れるような
新しいけど、懐かしい感覚に襲われる。

カルテットとの掛け合いも絶妙で、
水面に広がる波紋の様に、
新しいテーマがオケ全体に広がっていく。

ビオラの奏でるメロディーも絶妙だった。
(僕が彼女のビオラの音が好きだというのもあるが
それを差し引いても美しいメロディーだった。)

初っぱなの野心的な音からは
想像できないような、牧歌的な風景ばかり
目の前に浮かんでは消えた。

と初めて聴いた曲の感想でした。

前半2曲の作曲家の肖像が浮かぶ経験は
初めてだったので、
戸惑いつつも楽しい経験でした。