映画放談「舟を編む」

母国語で、高度な知識にアクセスできること。
辞書はその最前線なのだ、
ということを改めて確認した。

そして、そのアクセス可能な媒体を作るのに
どれだけの手間がかかるのか、
多くの人の手と時間を要するのか、
垣間見ることができた。

それは紙であろうが
電子ファイルであろうが
変わりはないのだ。

世界を見回しても、
知の蓄積である辞書を
母国語で持っている国は意外と少ないと聞く。

日本語はその気になれば、
自国の古典だけでなく、
海外の古典、古文書、
宗教の教典に至るまで、
アクセスできるのだ。

過去の偉人たちは、
日本語にない外国語を表現するのに
新たに言葉を作ったと聞く。
そんな積み上げた高みの上から、
いろんなものを見る視点を
現代の日本語は持っている。

そのことを少し意識してみても
いいと思った。
昨今グローバル化が叫ばれているが、
今一度、足下を確認した方がいいと思うのだ。

英語だけ話せて、自国のことを知らない人間を
果たして世界の人は信用するんだろうか?

この映画を観て、そんなことを考えた。