女声合唱団りんどう第27回定期演奏会

女声合唱曲集「自然と愛と孤独と」。
この詩に曲を付けたのは、なんとも興味深い。
今、簡単に調べると、この詩人は、
死後に評価されたアメリカの詩人のようだ。
経歴を見るにつけ、宮沢賢治を連想させる。

初見で一度聞いただけでは、
僕には良さがわからなかった。
演奏はもちろん丹念だった。
木下牧子さんの曲は様々なバリエーションがあるけど
今日の曲はシュールというか、
パステルカラーの雰囲気にカテゴライズされると思う。
微妙な色の変化が、印象に残った。

A Little Jazz Massは、以前にエヴァコールの
定期演奏会で聴いた様な気がする。
やはり、演奏は丁寧で好印象だったけれど、
曲の持つノリというかグルーヴ感が
別の言い方をするなら、もう少し
はみ出した演奏でも良かったのかなぁ。
真面目に演奏する曲ではないような。
聴衆も体を揺さぶらずにはおれない
そんなノリがこの曲にはあっているように感じた。

その意味からすれば少々、優等生すぎる印象を持った。

ポピュラー曲集では色々考えてしまった。
合唱でポピュラーって、
個人的にはいつも、座りの悪さというか
居心地の悪さを感じる。
あくまで僕の個人的な感覚だ。
井上陽水の少年時代が合唱で歌われると、
全く別物になってしまうくらいの違和感。
その超えられない壁というか、
間に存在する溝というか、
今回は「ありがとう」で感じた。
こんなことで身悶えしているのは
きっと自分だけなんだろうな。

合唱として演奏がうまく行けば行くほど、
そのズレも大きくなるんだよな。
演奏は良かったです、僕は悶えてましたが。

最後に定番が来ました。「落葉松」。
独唱曲でも、僕が知っているくらい有名。
和音構成が基本的なだけに、
誤魔化しが効かないので、
逆に難しい曲です。
安心して聴けました。
歌舞伎役者が歌舞伎をやる、
落語家が落語をやるくらいの安定感。
自分の土俵で相撲を取る感じでしょうか。

と、ここまで書いてポピュラーで感じた違和感の
正体の一部に気がついたかもしれません。
ドラマや舞台演劇で、違うジャンルの人が、
多く活躍しています。
いつもとは勝手が違いますが、
元々の土俵で培った能力を発揮して、
むしろプラスの相乗効果を生み出しています。
それはその人にしか出せない本物感が、
架空のお話に現実感を付与するわけです。
それは元々の土俵で培った能力がある故です。
ドラマ「半沢直樹」で主人公の敵役で活躍したのは
現役の歌舞伎役者です。(市川中車片岡愛之助

つまり、合唱にとってポピュラーは
違う土俵なわけです。
その観点からすると、合唱の歌い手は、
オリジナルの歌手と真っ向勝負しつつ、
合唱音楽で培った能力で当たらないと、
中途半端になりますよね。
その、真っ向勝負は出来ているのかな?
それが、僕の感じている違和感の正体かもしれません。