おそろしく手間のかかった本

日本国紀 百田 尚樹著

まず、これをまとめ上げた
百田氏の仕事に敬意を表したい。

歴史なので、諸説あるだろうが、
この書籍の意義は大きい。
特に近現代史は、この本の7章以降で
流れがつかめると思う。
本来は歴史学者の仕事なんだろうが、
それを望むのは難しいことは本書を読めばわかる。

なんだかいろいろ言っている筋(左)もあるようだが、
内容を見る限り、
偏った書き方にはなっていない。

この内容がどう見えるかが
ある種リトマス試験紙になっているんだろう。

この書籍をきっかけとして、
他の人が書いたものを読むことをお勧めする。

今は、廃刊になったものでも、
Amazonや、古本のネットワークで手に入る。
今、世界で起こっていることを見つめる上でも
若い世代に読んでほしい1冊。

体調管理について

冬のオフに入って体調問題なし。
この10年くらいは
冬のオフになる度に体調を崩していたけど、
今回はその気配がない。
だいたい風邪引くパターンだけれど、
風邪引かなくても、
疲れで起き上がれないことが多い。

今年に何気なく飲み始めたアミノ酸のサプリは
確実に効いている。

色々調べてみると、
ラソンをする前とか
した後にアミノ酸サプリメントを服用する
という記事を見た。

合唱団の演奏活動は、
1回のステージが2時間強、3時間弱あるわけで、
それまでの練習などを冷静に見ると
長距離走を、時間だけ見れば
ラソンやってるみたいなもんで、
競技選手に準ずる管理が本来は必要なんじゃないかと思う。

その演奏会本番を年間に大小含めて20回弱やっているのだ。

そう考えると、
アミノ酸サプリメントで調子を整える、
その結果として体調が整うことは
理に適っている。

今回のヴェスプロは、個人的にはまさしく長距離走だった。

スタートは全力疾走(最初の一声など)、
中盤も全力疾走(7.Duo Seraphim、9.Audi Coelum、10.Lauda Jerusalem)、
終盤に少し休憩(11.Sancta Maria、12. Avemaris stella)が入るも、
終わりに再びダッシュ(MagnificatのGloria)みたいな。
コース経験は21年ぶり2回目。競技歴は今回含めて8回。

書いてて疲れてきた。
このまま波乱もなく年を越せそうだ。

名古屋ビクトリア合唱団第16回定期演奏会

1ステ
パートバランスも良いし完成度の高い演奏。
以下は好みの問題、
2曲目のsana meのアルトの入りと、
3曲目の5度の跳躍(違うかも)が、
若干低く聴こえてしまった。
あとは全体での五度のハモリが
少しだけ違和感があった。
あくまで僕の耳の問題かもしれない。
2群に分かれた後の安定ぶりは良かった。

2ステ
五度の違和感はなくなった。
特に終わり二曲が圧巻。
本場で歌って来た感が滲み出ていた。

3ステ
ライブで聴いたのは初めて。
面白い曲だな。
1曲目の掛け合いでベースとテノール
オッさんと小学生くらい迫力に差があった。
仕方ないか。
2曲目クラスターが美しい。
うちの団の掛け声隊の凄さを再確認。
次やるときは暗譜なんだろうか・・・。

4ステ

TCMC第7回定期演奏会

シュッツのコーアムジーク。
個人的な好みで言えば、子音がもっとゴツゴツしている方が良いが、
難曲ばかりをピッチの乱れもなく歌い切るのは見事。
印象に残ったのが明るいアルトの響き。
曲の印象も良い意味で変わる。

ブルックナーのモテット。
ハーモニーは所々乱れるも概ね良い感じ。
パートバランスは?な所あり。ソプラノが弱い?内声以下が良く聞こえる。
テノール最後のアレルヤは決まったな。
難しい曲ばかり、お疲れ様です。

にじ色の魚。
学生が聴いていたら、間違いなくやりたくなるような
木下牧子のハーモニーは鳴っている。
惜しむらくはパートバランス。
ソプラノが弱いように感じた。
意外だったのは、アカペラと比べてピアノとハモっていないこと。
前半と後半で別の合唱団のようだ。そう感じたのは、僕だけだろうか?

良寛相聞。ピアノとのアンサンブルが出来ている。
ではさっきのは・・・。終曲、アカペラからのピアノぴったり。
その後のアンサンブルも聴かせる。ピアノとのハーモニーも美しい。
合唱とピアノはこう演奏するんだという演奏。
一体感は素晴らしい。

TCMC第6回 教会コンサート

・ビクトリア
響の保ち方、ピッチなどは良かった。
崩れそうになる場面がありながらも、
ほとんど下がらなかった。
僕の座った下手側後ろから2番目の席では、
母音の区別と子音が聞こえにくかったため、
歌詞カードを確認することが多かった。
全パートそんな感じだったので場所のせいかもしれない。

・ラインベルガー
曲の雰囲気は良くわかり、良かった。
しかし、この曲も母音と子音が僕には聴こえづらく、
比較的短い単語「nos」が「ナス」に聞こえたり、
israelが「アスロエル」「イッサエ」に聞こえたり、
言葉が気になってしまいました。
全体の雰囲気は良いのですが
歌詞が聞き取れないのが個人的にストレスになってしまった。

パート内で母音の響きや子音が揃っているのだろうか?

・武満のうた
ハモりも良かったし、言葉もよくわかった。
一部「見えない子ども」でソプラノの歌詞が
分かりにくいところがあった。

・千原のどちりな
あんまり生で聞いたことがないかも。
熱演だったと思います。
この曲中のラテン語は区別がついた。
ビクトリアやラインベルガーとの差はなんだろう?

・アンコール
男声は緊張が解けたのか、
ボリュームが一段上がって聞こえた。
教会が鳴っていた。ノリが良くて好印象。
女声は綺麗でした。
前半の洋物で少し気になったパート内でのバラつきは
ほぼなかったように思いました。
最後のラインベルガーは、
再びラテン語が分かりにくくなりました。
israelという言葉はあったのか?
「イッサエ」に聞こえて、個人的に気になりました。
もし無かったらなんの単語だったんだろうか。
israelという言葉は結構大事だと思うんだけどな。

全体を通しては、ハーモニーが良かったと思います。
多少の乱れではビクともしないのは、聞いていて安心感がありました。

国境(くにざかい)

自分も含めて、今の日本人は
国境が陸続きであることが何を意味しているか
本質的に理解できていないと思う。

ずっとそうだったわけではないだろう。

古くは多くの国が日本にはあったので、
他国と国境(くにざかい)を接する実感はあったんだろう。

明治以後、一つの国という体を取った後、
国境は海になった。

しかし、明治以前の記憶のある人たちは、
国境というものを今とは違った意味合いで捉えていたことは
想像に難くない。

それは戦前の日本の外交を紐解けばよくわかる。

難しくいえば、安全保障、
平たくいうと、隣との関係をどうするか
ということ。

想像力を働かせるしかないんだが、
言葉も文化も違う人が、
国境を徒歩で進入できて、
その人たちが、友好的である保証はない
という状況が日常的であったとする。

そのような国境が、
自分の居住地から数キロ圏内であったとしたら。

遮る山も河も森もない、平原だけが間にあったとしたら。
世界中に現在もそのような場所は沢山ある。
むしろ国境が陸続きがスタンダードだ。

自分の国の周りがすべて他国で
陸続き、徒歩で進入可能だったら・・・。

自分を、家族を、友人を、国を守るために
考えなければならないことは何か?

国のあり方はどのようにあるべきなのか?

そんな話をする日常が、日本にあっても良いと思うのだ。
そのために
歴史学地政学政治学、経済学、
芸術、音楽、地理、文学、哲学
が存在しなければならないし、
自国の歴史を世界史とのつながりで
語られなければならないと思うのだ。

少しでもそのことに思いを馳せられないものだろうか?