TCMC第6回 教会コンサート

・ビクトリア
響の保ち方、ピッチなどは良かった。
崩れそうになる場面がありながらも、
ほとんど下がらなかった。
僕の座った下手側後ろから2番目の席では、
母音の区別と子音が聞こえにくかったため、
歌詞カードを確認することが多かった。
全パートそんな感じだったので場所のせいかもしれない。

・ラインベルガー
曲の雰囲気は良くわかり、良かった。
しかし、この曲も母音と子音が僕には聴こえづらく、
比較的短い単語「nos」が「ナス」に聞こえたり、
israelが「アスロエル」「イッサエ」に聞こえたり、
言葉が気になってしまいました。
全体の雰囲気は良いのですが
歌詞が聞き取れないのが個人的にストレスになってしまった。

パート内で母音の響きや子音が揃っているのだろうか?

・武満のうた
ハモりも良かったし、言葉もよくわかった。
一部「見えない子ども」でソプラノの歌詞が
分かりにくいところがあった。

・千原のどちりな
あんまり生で聞いたことがないかも。
熱演だったと思います。
この曲中のラテン語は区別がついた。
ビクトリアやラインベルガーとの差はなんだろう?

・アンコール
男声は緊張が解けたのか、
ボリュームが一段上がって聞こえた。
教会が鳴っていた。ノリが良くて好印象。
女声は綺麗でした。
前半の洋物で少し気になったパート内でのバラつきは
ほぼなかったように思いました。
最後のラインベルガーは、
再びラテン語が分かりにくくなりました。
israelという言葉はあったのか?
「イッサエ」に聞こえて、個人的に気になりました。
もし無かったらなんの単語だったんだろうか。
israelという言葉は結構大事だと思うんだけどな。

全体を通しては、ハーモニーが良かったと思います。
多少の乱れではビクともしないのは、聞いていて安心感がありました。

国境(くにざかい)

自分も含めて、今の日本人は
国境が陸続きであることが何を意味しているか
本質的に理解できていないと思う。

ずっとそうだったわけではないだろう。

古くは多くの国が日本にはあったので、
他国と国境(くにざかい)を接する実感はあったんだろう。

明治以後、一つの国という体を取った後、
国境は海になった。

しかし、明治以前の記憶のある人たちは、
国境というものを今とは違った意味合いで捉えていたことは
想像に難くない。

それは戦前の日本の外交を紐解けばよくわかる。

難しくいえば、安全保障、
平たくいうと、隣との関係をどうするか
ということ。

想像力を働かせるしかないんだが、
言葉も文化も違う人が、
国境を徒歩で進入できて、
その人たちが、友好的である保証はない
という状況が日常的であったとする。

そのような国境が、
自分の居住地から数キロ圏内であったとしたら。

遮る山も河も森もない、平原だけが間にあったとしたら。
世界中に現在もそのような場所は沢山ある。
むしろ国境が陸続きがスタンダードだ。

自分の国の周りがすべて他国で
陸続き、徒歩で進入可能だったら・・・。

自分を、家族を、友人を、国を守るために
考えなければならないことは何か?

国のあり方はどのようにあるべきなのか?

そんな話をする日常が、日本にあっても良いと思うのだ。
そのために
歴史学地政学政治学、経済学、
芸術、音楽、地理、文学、哲学
が存在しなければならないし、
自国の歴史を世界史とのつながりで
語られなければならないと思うのだ。

少しでもそのことに思いを馳せられないものだろうか?

母国語で高等教育を行えるということ

過激なタイトルとは裏腹に
内容は、グローバル化に対する警告と
国を成り立たせるものは何なのか
歴史と世界状況を踏まえて論じている。

エリートのみがアクセス可能になっていた
高度な知識を、現地語に翻訳し土着化し
多くの人が高度な議論に参加できるようにすることで
国家が成立したということが書かれてある。
それはルターの宗教改革から始まる。
かつての高度な知識はラテン語にあった。

時代が下り、わが国でも同様の努力をした
先人がいた。
しかし、その中で、現在と同じ主張
日本の近代化のために
英語化を進めようとした人々もいた。

が、その流れを諌めたのは、国外の
見識ある人々だったのだ。

意外と知られていないが、
明治以後新しく翻訳のために
作られた日本語は多い。

大学でも、当初は英語でしか授業を行えなかった。
しかし、翻訳と新たな言葉を作る努力のおかげで
大学での授業は現在と同じように
「日本語で」行えるようになった。

それと同時に、学生の英語力が低下したと
嘆く記事が当時、新聞に載ったそうである。

しかし、夏目漱石は、それを
「喜ぶべきこと」として捉えたそうだ。

高度な知識の吸収と議論が自国語である
日本語で行えるようになった証左であると。

大学で同期だったインドネシア人(既に、学位を取得し帰国・・・)も
母国語に訳せない表現や言葉があると言っていた。
彼は自国ではエリートだけれど、
おそらく、その知見は、母国語で共有することが
難しいのは想像に難くない。

大東亜戦争後、独立を果たした東南アジアの国々で
母国語で、高等教育まで実施できている国は
残念ながらないはずだ。
アフリカ諸国でも、植民地時代の支配国の言語が、
支配階級の言語になっている。

母国語で高度な教育ができるということは、
日本では当たり前すぎてその重要性は
あまり認識されないが
世界的にも希少価値なのだ。

本屋さんや図書館に行ってみると良い。
あらゆる時代の
あらゆるジャンルの
国外の翻訳本がいかに多いことか。

英語教育は必要かもしれないが、
英語を頂点とする言語ヒエラルキーに汲みする必要は
ないとおもう。

母国語で高等教育を行える意味を
再度思い出してみてはどうだろうか。

それは不幸なのか、ドラマの始まりなのか

世界を
今、目の前にある状況を
どのようにとらえるかを
提示している。

身に降りかかったトラブルを
不幸と捉えるか、
ドラマの始まりと捉えるか。

現実は、常にコインの裏表で、
状況の対処の仕方で、
良いほうにも、悪いほうにも行く
ということを再認識できる。

現実を旅するための地図のような本。

東京コレギウムムジクム合唱団第5回定期演奏会

三鷹駅から市民文化会館への道すがら
前回ここで演奏会を聴いたときは
泊ったかもしれないのと
とある楽譜を受け取った記憶が蘇った。

閑話休題

◆O Nata Lux 光より生まれし光 (Guy Forbes)
◆O Magnum Mysterium おお、大いなる神秘 (Nicholas White)
マンスリーコンサートでは歌ったが
聴くのは多分初めてか。

調性の色の移り変わりがハッキリ見える演奏。
ソロのオブリガードも良かった。
メンバーの多くが和音の行き先を
共有している感がある。

◆Magnificat マニフィカト (Arvo Part)
◆Deutsches Magnificat SWV494 ドイツ・マニフィカト (Heinrich Schutz)

ペルトのマニフィカトも
なかなか聴く機会がない。
緊張感のある和音の軋みが
素晴らしい。
丹念な丁寧な演奏。

シュッツのドイツマニフィカトは
これまた、聴く機会がほぼ無い。
過去に姉妹団体が演奏したように思うが、
先生が後半ノリノリの指揮で
演奏したのを見たのは(聴いたのは)
今回が初めてかもしれない。

自分たちが演奏したのを客観的に
ライブで聴いたらこんな感じなんだろう
というのを体験できた。

混声合唱曲集 うたよ (木下牧子)
言葉も良く分かり悪くなかった。
あくまで僕個人の感じ方なので
他の人は違うかもしれません。

ピアノと合唱がハモっていなかった
ように感じてしまいました。

細かく言うなら、
同じ音と思われる音が
同じ音には聴こえなかった。

その座りの悪さがずっとあったので
今ひとつ楽しめませんでした。

合唱とピアノが別物になっているように
感じてしまいました。

混声合唱組曲 永久ニ (鈴木憲夫)
20数人とは思えない演奏でした。
永久ニの本来の演奏はこういうものなんだろう
というのを感じることができた演奏だと
思いました。

この曲に関してピアノとのハモりは
全く気にならなかったので、
やっぱり・・・・・。

回を重ねるごとに、
演奏が良くなっているので
聴きに行くのが楽しみです。
東京へ聴きに行く価値のあるコンサートです。

1993年、僕は23歳だった

その人は、普段は髪の毛がブワッと広がっていて
服装も、山登りか?っていう格好だった。

当然スッピンだ。
でも、美人だった。

入ったばかりで右も左もわからない頃、
初めての大きなステージで、
僕はその人に魅了されてしまった。

その人はソリストで、
ブワッと広がった髪をきっちり束ねて、
化粧もバッチリで、まるで別人だった。

でも、ステージが終わると
また元どおり、ブワッと広がった髪に
山登りみたいな格好に元どおり。

そのギャップにやられてしまった。

ほぼ話したことはなく、
唯一、その年のゴールデンウィークにあった
ヨーロッパ演奏旅行の最終日、
帰る日の朝ご飯で、
同席したのが最初で最後だった。

大した話はしていない、
っていうかできなかった。

それからほどなくして、
その人は合唱団を退団した。
北海道に行ったのを知ったのは
ずいぶん後になってからだ。

数年前の北海道の演奏旅行で、
久々に再会することになった。
当然だが、その人は僕のことを
いまいち覚えていなかった。

そして2015年シルバーウィークの最終日、
突然、その人の訃報を知った。

僕の中では、凛々しく歌う
その人の姿が今でも焼き付いている。

心よりご冥福をお祈りします。

京都クラウディオモンテヴェルディ合唱団 第54回定期演奏会ー得難い一夜

最初のステージはモンテヴェルディのモテットとマドリガル
各パート三人のアンサンブルで
曲ごとにメンバーが入れ替わる構成だった。
パート間のリアルタイムの駆け引きみたいなものは流石に少なかったが、
パートが揃って、音楽的に押さえるべきツボを押さえた
各パートが手堅く仕事をしている、
各パート三人には聞こえない、軽やかな演奏でした。

普通、なかなかこういう演奏はできないもんです。

メインの鈴木憲夫、祈り三部作。
地蔵礼讃、祈祷天頌、永久ニ。
最初、この組み合わせを一夜にって聞いた時
「また御無体な」、と思った。
別に自分がやるわけじゃないのに。

指揮者も、ピアニストも、歌い手も
本当に大変だからだ。
しかし、今宵お客さんになれて、幸せでした。
どの曲も良い曲だなあと集中できるほどに良い演奏でした。
熱く冷静な演奏でした。
若いソロの二人も良かったです。

会場にいた学生さんたちの中の
何割かは確実に、自分たちも演奏したい
と思ったのではないか。

今回も、香川、名古屋、東京、北海道からお客さんが来ていたが、
確かに京都までわざわざ足を運ぶ価値のある演奏会でした。

みなさんお疲れ様でした。